Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

どこかの空の下で

父の友人が山登りに行って帰ってこないと、ご家族から連絡を受けたのは、20年前の今頃だった。

仲の良い友人だったようで、その後、父も目的地近くの駅で毎週末、「尋ね人」のビラ配りをしていた。

 

変わり果てた姿の友人が発見されたのは、年が明け、暖かくなってからだったと思う。

山登りと言っても、ハイキングコース程度のやさしい山。それも何度も行ったことがあったコースだったので、紅葉を見にぷらっと一人で出かけられたようだ。

 

彼が生きていたら、父ももっと山登りをしたかったのではないかと思う。

彼と一緒に、そして一人でぷらっと。

 

以後、父は一人で高尾山以外の山に登ることはなかった。

その代わり一人でツアーに参加して、温泉によく行っていた。

ツアーだと家族も安心できる。私も「尋ね人」のビラ配りはしたくなかったし、父もツアーを存分に楽しんでいたようだ。

 

ツアー会社にもいろいろ特徴があるが、父は自分にぴったりの、しかも温泉に特化したツアーをたくさん企画している会社を見つけて、マメに参加していた。

みんな、中毒のように旅行に行っているんだよ…とよく言っていた。

 

父が亡くなってからもパンフレットが律儀に毎月送られてきていたので、私宛に送ってもらうよう連絡し、何度か参加した。ただし私は温泉ではなく普通のツアーである。

 

結構楽しい。知らない土地にも気軽に行けるし、個人で行くより安くあがる。

女性の場合は、一泊すると名前も知らぬまま旧知の仲さながらになれる。バスの中など、修学旅行を思わせる賑やかさだ。

ときに超マイペースな人もいるが、それはそれで勝手に喋っていてもらうと結構楽しいし、人生勉強になる。

ツアーが終われば他人同士。多少のことでも安心して喋れるし、こちらも笑って聞き流せるのだ。

 

気がつくと、私はいつもトイレの外で高齢者を待っていたりする。祖母や、年老いた父との外出が多かった後遺症かもしれない。

私が高齢者になったら、誰か、トイレで私を待っていてくれるのだろうか?

それとも、私がもっと高齢の人を待っているのだろうか?

 

海外も行った。今までは殆ど個人旅行だったが、ツアーも快適だ。

 

お酒に弱い私。食事のときなど、ひと口くらいは飲みたいのだけれど、たくさん飲むと酔っ払ってしまう。しかも外国で出されるお酒の単位は日本よりずっと多い。

 

一人で行っていたときは、飲まないか、残すのを覚悟で注文するしかなかったが、ツアーで行くと、必ず一人はお酒好き♡がいる。食事のときはその人の近くに席を取り、飲めない分を飲んでもらう。まさに共利共生。

 

旅行(だけ)が生き甲斐の人たち、今頃どうしているだろう?

桜の柄のスーツケースのチェリーさん、お気に入りのカメラに何を収めているのだろう?

海外旅行ホリックの仲良し3世代一家は、溢れるパワーを何に費しているのだろう?

クルーズ船マニアのナオちゃん&リッちゃん、休暇をどうやって過ごしているのだろう?

 

旅行のために仕事をしていた人が、旅行に行けなくなって勤労意欲を喪失し、人生の意味まで見失ってしまったという話も聞いた。

好きなことの「代理」など、簡単には見つからない。

 

世界の感染状況が放送されるのを見て、航空会社の赤字のニュースを聞いて、心をいためているのは私だけではないはずだ。

飛行機や船がサビだらけになって、パイロットさんや添乗員さんが皆、引退してしまったら、次の旅行は誰が連れて行ってくれるのだろう? 

 

飛行機に乗って「今日は機長ともども3年ぶりのフライトです」なんてアナウンスがあったら!?

 

バスに乗ったら、運転手さんが皆リタイアされて…と、無人の自動運転バスだったら!?

 

航空会社さん、旅行会社さん、バス会社さん、どうか頑張って乗り切ってください。

旅好きのみなさん、またどこかの空の下でお会いできる日まで❣️ 

 

What is ウスターソース?

かつて日本の食卓には、ソースと醤油のビンが常備されていた。

家庭だけでなく、学食、社食、デパートの大食堂…。

 

ウスターソースを、父は何にでもかけた。

味見をせずにかけてしまうので、私が文句を言ったこともある。

これは父に限ったことではなく、昭和の雑誌や新聞にはそういうオヤジの話がよく載っていた。

 

父は、ハンバーグやオムレツなどの洋食のほか、焼売や青椒肉絲にもかけたがり、半熟の目玉焼きにかけるのがお気に入りだった。ソースせんべいという、醤油の代わりにソースを塗った堅焼き煎餅をアンテナショップで見つけたときは、子供のように喜んでいた。

 

今になって思うと、父が少年だった頃に戦争が終わり、食事が西洋化した。その時に入ってきたソースに、新しい、ハイカラなものを感じたのではないだろうか。千切りキャベツにソースをかけるだけで洋風を感じることができた…みたいな。

なので、父の世代の人たちは、ウスターソースと一緒に少年時代のワクワク感やノスタルジアを料理にかけて味わっていたのかもしれない。

 

父の亡き後、我が家のソースはめっきり減らなくなった。

気がつくと賞味期限をとっくに過ぎていたので、新しいものを買いに行った。

同じサイズだとまた残ってしまうので、昔お弁当用に買っていた小さなサイズのものを探したが、ウスターソースはサイズのバリエーションがなかった。

 

どうやらウスターソースは、以前ほど人気がなくなっているらしい。

 

今は、料理にかけるものはソース以外にたくさんある。私はレモンやカボスの果汁をよくかける。ポン酢やニンニク醤油も使うし、ドレッシングも数種揃えてある。お惣菜やお弁当を買って来れば、それに合うソースがついている。

ウスターソースを常備しなくとも、何一つ困らない。

 

昭和時代に遡り、初めて海外(北米大陸)旅行に行ったとき、外国にはソースがないんだよ…と言われて驚いた。

トンカツを食べる時はどうするのだろうと思ったが、北米の食卓にトンカツが並ぶことはなかった。

“本物の洋食” を食べるときは、ウスターソースを使わないのだろうか…不思議だった。

 

その後、ウスターソースについて深く考えをめぐらせることはなかった。

やきそば、たこ焼き、お好み焼き、トンカツ…、ソースの合う料理はどれも日本料理だということから、日本人が醤油をヒントにして発明したんじゃないかとさえ思った。

 

それから数年後、初めてイギリスに行ったとき、レストランなどにウスターソースが常備してあるのを見て、ウスターソースの故郷はイギリスだということを知った。

どうやらウスターソースは、北米大陸より距離の遠い日本のほうに伝わってきたらしい。

 

しかし、その後イギリスに行ってもウスターソースをかけたくなるような料理に出会ったことがない。

が、中華料理屋に入ったとき、春巻にウスターソースがついてきたことがあった。

イギリスでは中華にウスターソースが使われている “らしい”(?)

餃子にもかけちゃうのだろうか? 謎は未だ解明されていない。

 

慣れると美味しい…?

東京の名産に「くさや」という、それはそれは臭〜い干物がある。

日本橋に生まれ、築地で育った父は、これが大好物だった。

子供の頃から食べている私も、大好きだ。

 

武蔵野で生まれ育った母は、この臭い食べ物をムシャムシャ幸せそうに食べる親子三代を、どう思って見ていたのだろう?

 

このくさやの干物、私が子供の頃は入手も容易だったようだが、父の晩年は、有楽町のアンテナショップか、この季節に代々木公園で催されるイベントでしか手に入らないんだよ…と言っていた。

 

アンテナショップで売られているものは、トビウオか何かから作られているようで、大型で身が厚く、美味しいことは美味しいのだけれど、くさやだけでお腹がいっぱいになってしまう。塩分量も多いし、焼き具合も難しい。

呑兵衛はこれを肴にして日本酒をちびりちびりと呑むのだろうけれど、我が家は下戸なので、大きいと持て余してしまう。

 

代々木公園で売られるものは、新島だか八丈島から運ばれてくるようで、地元での消費を目的としているので、小型で身もうすく、柔らかかった。鯵あたりから作られているらしかったが、我が家にはこちらの方がウケが良かった。

父は毎年、このイベントを心待ちにしていた。

 

葬儀のとき、棺に大好物を…と言われ、くさやがふと頭をよぎったが、身内しかいないとは言え、さすがに私もくさやを入れる気にはならなかった。

せめて仏壇に供えてあげようと思いつつ、イベントは年1回しかないし、くさやを買ってきて一人で焼くのも考えもので、なかなか叶わなかった。

家中が数日間、”くさや臭” に包まれるだけでなく、近隣にも匂いを放つのだ。

 

が、以前、築地散歩のブログを書いたとき、築地場外市場で、くさやの瓶詰を見つけた。

瓶詰めがあるのは知っていたが、美味しくないだろうと決め付けていた。

しかし、背に腹は変えられない(?)高いのと安いの、1個づつ買ってみた。

 

案外美味しかった。

家で焼いたものは熱いうちに食べないと硬くなってしまうが、いつまで経ってもソフトだった。

 

高いほうをすぐに食べ、安かったものをつい先日食べたが、大きな差はなかった。あまりの美味しさに日中、おやつ代わりに食べてしまったくらいだ。外出前には食べないほうがいいかも。

 

仏壇にもお供えした。仏壇の周りがくさやの匂いで包まれた。

ご先祖様、楽しまれただろうか。

また買って来るね❣️