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「ラスト・ソング」のその後

マグロは一生泳ぎ続ける

幼少時の、ある夜🌃

祖父母の部屋の襖を開けると、祖父がベッドの前で…

体操をしていた🤸

 

祖父の日課だったらしい。

 

祖父は朝、暗いうちに起きて仕事に行った。

前日9時前にはベッドに入っていた…と思う🛏️

交通機関が発達する前は、もっと早かったかもしれない。

 

私が覚えている祖父は、70代。容易に眠りにつけないこともあったかもしれない。

加齢現象は昔も今も同じ。

夜間に「はばかり」に行く宿命であっても、睡眠を中断されるのは不快だっただろう。

ノコギリヤシもカノコソウも知られていなかった時代、体操は祖父にとって欠くことのできない睡眠儀式だったのだ😪

 

自分が年齢の階段を上るだけで、見えてくる風景もある😌

 

今ほど暖房効率が良くない時代、さらに平均気温も低く、冬には東京でも雪や氷柱、霜柱が頻繁にみられた時代、早朝の出勤は若い頃から慣れていても、楽なものではなかったと思う🥶

ダウンコートも、携帯カイロも、機能性インナーもなかった。

寝不足で免疫力が落ちたら、体調を悪くするのは確実だ。

 

昔の人たちは、農業でも商業でも家庭内工業でも、天皇陛下でも、体が動くうちは「現役」だった。

 

リタイアという概念ができたのは会社勤めが一般化してからで、まだ元気なうちに職を退くという考えは、私が生まれてからではないかと思う(「定年」制が巷になかったわけではないが)。

 

亡くなる1カ月前まで働いていた…と、以前に自慢気に書いたけれど、80過ぎての早朝勤務は激務だったよね、きっと🤔

でも、だからって、身体の動くうちに仕事を辞めるという選択肢はなかったのだろう…と思う。

 

マグロは死ぬまで泳ぎ続けなければならないのだから🍣

 

翻訳業に就いてから、私も睡眠前ストレッチをするようになった。

やがてそれに腹筋運動が加わり、握力運動が加わり、ここのところは足のマッサージやストレッチも🦶

 

ヨガのクラスを受けると、どんなクラスでも最後に「ただ寝るだけ」のポーズをする🧘🏾

すると、イビキをかいて本当に寝てしまう人も少なくない💤

 

適度なストレッチは心身を解してくれる。

血行が良くなり、自律神経が整って安眠できる☺️

 

おじいちゃんの習慣、皆様も😉

負の記憶遺産

友人は、幼稚園が楽しくなかった…と思っていたのだが、お母様に「あら、楽しそうに通っていたわよ」と言われたという😄

 

人間は…と言うより生物は、嬉し/楽しかったことより悲惨/不快に感じた出来事のほうをより覚えているらしい。

生存のためだそうだ。

 

不快に感じた出来事を記憶することで、次はそれを回避する。

楽観的な個体より心配性の🐭のほうが長生きするというデータもあるらしい📊

 

記憶は、脳を持っていない生物にもあるという🦠

単細胞生物でも、不快な刺激を与えると、その刺激を受けた方向を覚えていて行かなくなるそうだ。

 

人間だって、脳は大きくなったが、その基本から外れてはいない。

 

高校生のとき、台風が来るので学校が早く終わった。

喜び勇んだ私は、友人とサテン(今で言うカフェです)に寄って、スパゲッティ・カルボナーラに舌鼓を打ち、インベーダーゲームに興じてしまった😛

 

ひととおり満足して、帰路についた。

が、新宿に着いたら小田急線が止まっており、回り道をして地下鉄に乗って帰った。

家に帰ってテレビを見たら、今乗ってきた地下鉄も止まっていた。

ギリギリ、セーフ😮‍💨

 

悲惨になる直前の経験だったので細部まで覚えている。

 

若いときはそのような経験が記憶となって我が身を守ることにつながる。

私だって二度と、荒天の中で油を売るような行為はしない⛈️

 

しかし年齢とともに記憶は蓄積する。

さらには他人や親兄弟のマイナス経験まで “相続” してしまうと、負の記憶にがんじがらめにされることになる💧

 

まさに、負の記憶遺産状態❗️

 

食べ物の好き嫌いも、ネガティブ経験によることが多い。

危ない食べ物や不味い食べ物を二度と口にしないという、防衛反応に結びつくからだ。

 

父は、嫌いな食べ物が多かった。

かつて父の帰りが遅い日の夕食となると、定番となっているようなおかずも多かった。

が、晩年、私が作ってみると、案外食べた(私が怖かっただけ?)🤨

 

ナス味噌はずうっと嫌いだったはずだったのに、作ってみたら「美味い」と言って食べていた(笑)

ニンニク醤油など絶対かけないだろうと思って、黙って私だけかけていたら、「オレのにもかけてくれ」と言って美味しそうに食べていた(笑笑)

🍒も、昔は食べなかったくせに、私が美味しそうに食べていたら競うように食べ出した(笑笑笑)

 

昔と、素材の味が変わっていることもある。

自分の感覚器の感度が変わっていることもある。

システムが変わっていることもある。

 

不快に思ったことが、実は何でもなかったこともある。

 

短い人生、損することのないよう、今一度、負の記憶遺産の「整理」を😏

メモリー・オーバー

母が病気になってから、父は医学セミナーや講演会などもよく聞きに行った。

 

それはやがて父のライフワークとなった。

ときに「行けなくなったから、代わりに行ってくれ」と振られることもあった。

「え〜😒」と思ったが、行ってみるとなかなか有意義だった。

 

ときに患者やヘルスケア・ワーカー向けのセミナーであったり、ときに一般人向けの最新医療講演だったり(ノーベル賞受賞直後の山中教授もお出ましした)。

どれも分かりやすく、同じ内容を本で読むより理解でき、何か一つは記憶に残るものだった。

 

たった一度だけ、父に誘われて二人で行ったことがあった。

某超有名私立医大主催の「医学サロン」だった。

 

銀座のド真ん中にサロンを借り切って、(確か)2ヶ月に一度くらいのペースで一般人を対象に、呼吸器、婦人科…など毎回診療科を変えて、現役の医師が最新のトピックについてレクチャーするものだった。

 

その日のテーマは当時熱かった「脳」で、聴衆には小学生〜中学生くらいの若者もいた🧠

 

内容は殆ど忘れてしまったが、一つだけ覚えている:

人間の記憶容量は〇〇バイトで(個人差はさほどなく)、それを超えると破綻する…という🤪

 

どうやって測ったのだろう?文字化できない映像記憶や匂いの記憶などは測れるはずないじゃない!?脳が破綻するってどういうこと?

数々のクエスチョンマークが浮かんだが、無駄に記憶を使うのはやめようとは思い、この話自体、忘却の彼方に…。

 

しかし最近、テレビで同じことを言っているのを聞いた。

人間の記憶容量は〇〇テラ・バイトだという🧠

すいません、〇〇の部分は覚えても仕方ないので覚えてません🙇‍♀️

 

なるほど。。。

確かに底なしのメモリーなどないのかもしれない🤔

クラウドも一定量を超過すると追加料金を取られるし📱

 

誰でも幼少時のことをよく覚えているのはメモリーがまだスカスカだからで、年を重ねるごとに記憶が脱落するのは、脳が自動的にメモリー残量を計算して、不要と思われることをソート・アウトしているのかもしれない。

 

「記憶力コンテスト」のチャンピオンだって、翌日まで記憶しているわけではない。短期記憶の要領が良いだけの話だ。

 

かつては人間の脳細胞は1日に〇個死滅すると言われ、それに抗うために若いうちに脳を鍛えておくことが提唱されたが、実際にはそんなに死滅していないそうである😳

 

そもそも脳の大切なお仕事は、情報を「適切に処理」し、「判断」して、何らかのアウトプットやアイデアを作り出すこと…ですよね⁉︎

「記憶」は「判断」のためのリファレンスにすぎないのではないかと思う。

なので脳のメモリーがいっぱいになったとしても悲観することはないのです😄

 

いずれにせよメモリーは常に整理して、必要ないことはさっさと忘れましょう。

クラウド上の画像や動画も、警告が来る前に整理しておきましょう💻

 

楽しかった思い出とお世話になった人…

それだけは、ゴミ箱🗑️に入れないで。