夏休みと言えば、「自由研究」🍉
もしかしたら褒められたこともあったかもしれないが、私が覚えているのは、大変だったわりに報われなかった、「負の記憶」。
そのテーマは、「天気予報の当たる率、はずれる率」。
確か「小学○年生」だったか「学習」か「科学」あたりの学年雑誌から拾ったテーマだった。
毎夕6時50分の各地の天気予報を記録し、当たったかはずれたかを判断し統計を取る。
簡単そうだが、ビデオのない時代に、ヒマな小学生でも毎日、きっかり同じ時間にテレビを視聴するのはちょっと大変だった。しかも気温予想のコーナーは30秒程度。ボーッとしていると終わってしまう📺
しかも夏休みとなれば旅行もする。
箱根ならばOKだが、伊豆へ行くと、そこは中部地方。東京の予報は見られない。
そういう時は祖母の出番。祖母とて孫の宿題に穴を開けることになってはいけない。
まさに家族総出の宿題だった…のに、評価は低かった💧
しかし、そのおかげで、いまだに昭和50年頃の天気予報の表と、穏やかだった日本の夏を数字で覚えている。
今のようにコンピュータ化されていない時代、天気予報は「お天気占い」とさえ言われた。
予報は、ほぼ毎日が「晴れときどき曇り、ところによってにわか雨」だった☀️
気温も、ほぼ毎日、最高32度程度、最低は(多分)22〜24度くらいだったと思う。
しかも、それがほぼ毎日、当たった。
違う予報が出たり、台風が来たこともあったかもしれない(そこまでは覚えていない)。
台風は確かに強力だったが、「線状降水帯」など聞いたこともなかったし、熱中症で死ぬ人も(私が知る限りでは)いなかった。
気候の穏やかな日本では、気象を予測できないことで人命が失われるいことは稀だった…のかもしれない🌪️
その宿題から数年後、祖父が亡くなった。
倒れた日から亡くなるまでの1週間、それから密葬までの1週間以上、その約1ヶ月後の本葬…全てが暑さと共に思い出される🥵
それでも、せいぜい32〜33度程度だったのではないだろうか。
そもそも猛暑なんて言葉さえ存在しなかった。
最高気温32度の夏🌻
これから先、そんな夏が来たとしたら、それは「異常気象」と呼ばれるのかもしれない🫠