Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

今年の抱負

2年前まで私はフラウト・トラヴェルソという楽器を習っていたが、最後の先生のときは1年に3回、人前で演奏する機会があった。先生がコストを最小限に抑えてくれて、ハープやピアノなど他の楽器の人にも声をかけてくださり、誰もが自由に音楽を表現できた。

演奏会の後には懇親会があった。焼き鳥屋で、あるいはファミレスで。
懇親会では他の楽器を演奏する人たちと、楽器の話、その楽器を演奏することになったきっかけ、職業の話、先生のプライベートの噂話など話は尽きず、2~3時間があっという間に過ぎた。


トラヴェルソもハープも稀少楽器で、楽器に惚れ込んだ動機、楽譜や楽器の入手情報、練習の苦労話、衣装に対するこだわりなど、一人一人のストーリーをうかがうことができた。
普段、個人レッスンで他のお弟子さんたちと顔を合わせることのない私たちにとって、とても有意義な時間だった。

アイリッシュ・ホイッスルを習っていたときは、数ヶ月に一度、先生がパブを借り切ってプロの演奏家を招き、先生のお弟子さんたちが一堂に会して演奏したり歌ったり、陽気な時間を過ごした。

20代から80代、90代まで、その趣味がなかったら出会う機会もなかったような人たちが場を共有し、趣味の話題で盛り上がる。一人一人に趣味をめぐるストーリーがあって、私の人生に刺激を与えてくれる。

今思うと、父が亡くなった後、本当に悲しんでくれたのは、父の学生時代の友人と、晩年、趣味の場で出会ったお友達だった。
趣味は人生を豊かにしてくれるもの。趣味そのものより、趣味を通じた "ご縁" が人生に奥行きを与えてくれるのかもしれない。

新型コロナウイルスの流行で、数人の身近な人との交流は許されても、大人数の宴会の企画は御法度となった。
演奏会や発表会は対策を講じて再開されているが、打ち上げは多くの場合がNGだ。

"コロナのおかげ" で生活が変わり、今までとは違った人たちと知り合いになることができた。
が、マスクをしての立ち話や、せいぜい横並びになってソーダ水をすする程度で、腹を割った会話がなくなった。
人は飛沫を飛ばさないと自分をさらけ出すことも、他人を知ることもできないんだな…と思った。

今までなるべく「コロナのおかげで」という言葉を使うようにしていた。
ネガティブ思考は老化のもと。ネガティブな言葉遣いを極力避けたかったのだけど、人との交流の減少は決して「おかげ」ではなく「コロナのせいで」としか言いようがない。

趣味の場だけでない、職場の飲み会、同業者の集まり、学生のコンパ、地域の集まり、各種打ち上げ…、不要不急のやり玉に挙げられる不特定多数の集会こそ、人間が人間らしく生きるのに必要だったことに、改めて気づかされる。

「年末はパーティー三昧!」「合コンさんれんちゃん!」そう胸を張って言える年末が、今年は戻ってきますように。