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「ラスト・ソング」のその後

おうちがお鮨屋さん

祖父はマグロの仲買人だった。

マグロの仲買人はマグロを買い付けるとき、尻尾を落とされた断面を見て,さらにそこら辺のお肉をちょっと舐めて、マグロに値段をつけるという。
舌が鈍感だと、よくないマグロを高値で競り落としてしまうことになる.
祖父の舌は美味しいものとそうでないものを敏感に分けることができた。

前にも書いたかもしれないが、祖父は、少年だった父と寿司屋に入り、寿司を1つ食べるか食べないかのうちに「この店はだめだ」と言って店を出たという。
美味しくない店にはシビアだったが、美味しい店は大切にした。

いとこたちと会ったときに必ず話題になるのが、「おうちがお鮨屋さん」だ。
贔屓のお鮨屋さんを呼びよせ、我が家の六畳間とベランダの間の窓を取り外し、ベランダにお鮨屋さんのカウンターを作ってしまった。何でも食べ放題だった。

最近は出張シェフと呼ばれ一般化しているらしいが、50年ほど前の日本ではかなり粋なイベントだったと思う。
まだ私は魚の味のわかる年齢に達しておらず、好きなお寿司と言ったら卵焼きとか小鰭程度、マグロも赤身の方が美味しいと思っていた(に違いない)。第一、お鮨そのものより、お鮨屋さんを設定する場面ばかりが記憶に残っているのだ。

あー、もったいない。
タイムマシンがあったら、あのときに戻って高級なネタを次々注文したいっ!
ついでに写真も撮って、ブログにアップしたいっ!!

さて、そんな祖父が地元で特に贔屓にしていたのは、小さな焼き鳥屋だった。
祖父はこの店の天ぷら定食を特に愛していた。

このお店は素材が一流で、焼き鳥の鶏肉にも、「冷やしトマト」のトマトにも手を抜くことはなかった。メニューは少ないものの、何を注文しても美味しかったし、心遣いも細やかだった。
父も母も、この店に行った翌朝の挨拶は「昨日は美味しかったね」の言葉から始まったものだった。

祖父が亡くなった後、店の周りには住民や、通勤してくる人たちが激増した。
それに伴って "グルメな店" も増加し、あちこちで行列も見られるようになった。美味し "そう" なレストラン、評判の店がどんどん増えていった。
最寄り駅を言うと、「○○って店、近いでしょ。いいな」と言われることも多い。

が、この天ぷら屋は置き去りにされたように、五十余年、ジモティ相手に粛々と営業を続けていた。
ここ2年は休業を選択され、テイクアウトなどもやっている気配はなかった。

「今度、そちらの方に行くのだけど、美味しいお店知らない?」と尋ねられても、私がその天ぷら屋を紹介することはない。やっぱり遙々来られるのなら「映える」店の方が喜ばれるだろうという本能(?)から、その方の好みに合いそうなお店を紹介させていただいている。

決して意地悪して隠しているわけではない。
もし、「"一緒に" 和食でも食べない?」と言われたら、そのお店を紹介させていただくかもしれない。

本当に美味しいお店とは、そういうお店なのかもしれない。