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「ラスト・ソング」のその後

ジゾウ・ストリートからゴリン・ストーリーへ

東京のお盆は7月13日から16日だった。

確かその前日、父の夢を見た。

 

父の夢は何度か見ているが、散らかった部屋を片付けている夢ばかりで、いつもため息とともに目が覚めた。

が、今回の夢は違った。

 

一緒に食事をして買い物をしていた。

紙袋やエコバッグを持って、お煎餅屋さんでお煎餅を買った。

目が覚めて気がついた。

いつもお墓参りの帰りに行っていた、巣鴨とげぬき地蔵商店街の夢ではないかと。

 

あの紙袋には、”マルジ” で買った父の下着がいっぱい詰まっていたに違いない。

エコバッグの中は百均で買った “ガラクタ”(失礼!)

計り売りのお煎餅屋さんも、父のお気に入りだった。

 

父の存命中は、お墓参りの帰りには必ずお地蔵様に寄って、いろいろなものを買っていた。父はこれが大のお気に入りだった。

 

私が一人で行くようになってからは、大手町や池袋の大型書店に寄ってお昼を食べて帰るようになっていて、お地蔵様に行ったのは2、3回、それもさっさと帰って来てしまっていた。

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お坊さんが言っていた。

「お墓参りはあの世の人との待ち合わせだと思ってください。」

最近のお坊さんは仏教の慣習をうまく物語にするものだ。

…が、もし本当にそうだとしたら、父は、せっかく私と待ち合わせているのに、私の都合ばかりで不満だったのかもしれない。

 

ということで、今年のお盆は、父の好きだったコースをゆっくり回ることにした。

とげぬき地蔵のある商店街は、”おばあちゃんの原宿” と呼ばれ、テレビで高齢者にインタビューするときは決まってここで行われる。

軒を連ねるのは殆どが個人商店で、他では見られない、個性的な商品が並ぶ。

食べ物も、塩分が控えめだったり、かき氷が超スモールサイズだったり、年寄り向けにできている。

清潔なトイレが無料で使えたり、休憩場所もあって年寄りでなくとも居心地は良い。

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地蔵通りの入り口にある、猿田彦神社

さすがに父の下着は買わなかったが、お煎餅や仏壇に供えるお菓子を買った。

お地蔵様では、健康祈願のお線香を買ってお供えしてきた。父の、そして母のルーチンだった。

若いときは退屈きわまりなかったけれど、それなりに楽しんでしまったのは私が加齢したせいだろうか。でもあと30年したらこういう服を着るようになるのだろうか?…と思うとちょっと疑問。

 

夢の中で父と行ったコースを回って帰って来たが、夢の最後に「?」なことがあった。

電車から降りて家に帰ろうとすると、父が細い道を登って行こうとする。それが最寄駅に新しく作られた、自転車用通路らしいことは、起きてから推測できた。

「写真、撮るんだ」

確か、そんなことを言っていた。父は滅多に写真を撮らなかったが寄り道はよくあったので、私は先に帰宅し、そこで目が覚めた。

 

東京オリンピック初日、ブルーインパルスが飛ぶという知らせがあった。

我が家には前回のオリンピックのときに、ブルーインパルスが空に描いた五輪の雲の写真がある。両親が生で見た唯一のオリンピックのようで、その写真を見ては何度も語り継がれ、私の頭の中ではカラー写真として残っていたが、実は白黒写真だった。

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57年前のブルー・インパルスが描いた五輪。

ブルーインパルスが飛ぶ知らせを聞いて、写真撮らなくちゃ!…と思った。あの写真と今回の写真を合わせて我が家のオリンピック・ストーリーは完結する。

 

当日、SNSで時間をチェックして、ビューイングポイントに行ってみると黒山の人だかりだった。

ビルの窓からもたくさんの頭が飛行を今か今かと待っている。

密を避けてビルの屋上に立っている人も少なからずいた⚠️

 

ふと駅のほうを見ると、夢の中で、父がカメラを持って登って行った通路の上にも人がいた。

そのとき、父があそこに登って行った理由が分かった気がした。

 

父もブルーインパルスの写真が撮りたかったのだ!

 

その晩、開会式の始まる時刻に、父の愛用のテレビのスイッチを入れた。

聖火に点火するときは私もそのテレビの前に座った。

ブルーインパルスの写真は57年前のほうがよく撮れていた📸

 

オリンピックの招致が決まったとき、「オレはもう見れないな」と言っていた。

もう思い残したことはないでしょうか?

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今回のブルー・インパルス。