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「ラスト・ソング」のその後

姑息な!?

父は、電車に乗るとき、端っこの車両には絶対に乗らなかった。

(我が家の最寄駅はどれも、1両目の近くに改札口があったというのに。)

路線バスにも乗ろうとしなかった。

常に水を持ち歩き、特に夜中に目覚めたとき、お風呂に入る前は必ず飲んでいた。

 

理由は言わなかったが、私には分かる。

“危機管理” である。

 

新聞3紙を熟読し、新聞を読みながらテレビの情報番組に耳を傾けていた。

父なりに情報を取り入れ、その中で “安全に” 長生きできる方法を確立していたのだと思う。功を奏したかどうかは不明だが、私の知らないバージョンもきっと沢山あって、その積み重ねが長寿につながったのかもしれない。

向こう見ずのように見えたが、そもそも危ないところには近づかなかったのだ。

 

私も同じことをしている…かもしれない。

災害や事故のあったとき、職場の人や友人に、「実はこういうことをしているんだ」「こういうものを持って歩いているんだ」と打ち明けると、「姑息な!」「周到!」「したたかな!」と言われた。

 

面と向かって言われて気持ちの良い言葉ではない。たとえ目が笑っていたとしても。

おそらく、ズボラでボーッと生きているようにしか見えない私が、意外にも、それも普通は考えられない対策をしていたので、皆さん驚かれたのだろう。私は「姑息」とは程遠いお人好しだと自覚しているのだが。

 

私も新型コロナウイルス対策は、もちろんしている “つもり”。

でも、手洗いは杜撰だし(あまりよく洗うと指紋が消えちゃう)、マスクからはときに鼻が覗いているし、ハンドサニタイザーは持ち歩いていたが、気がついたらアルコール分が揮発していた。

ペットボトルの蓋を落としても拾ってまた嵌めちゃうし、電車のつり革にもしっかりつかまる。

 

そんな私の “姑息なる対策” は、密かなる情報収集である😜

一緒に生活している人がいるとしたら「ナニ、その習慣⁉︎」「姑息〜!」と言われそうなことだらけだ。そう言ってくれる人がいないのが残念。

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寒さとウイルスを同時に防ぐオーバーマスク。銀行に入るときは、ちょっと下げてネックウォーマーに(そのまま入ると警備員にマークされます)。

一つだけ私の「対策」を紹介しましょう。

 

感染者数が毎日発表されますが、私は(前にも書いたかもしれませんが)数には “さほど” 執着していません。ただPCR検査の陽性率に注目しています。

が、最近、PCR陽性率も7%を超えてきた…ということで、最近は “なるべく” 家の外のトイレに入らないようにしています。

 

尿は基本的に無菌なので、男性の方が立ってする分には感染リスクはゼロですが、(これも前に書いたと思いますが)感染者の糞便には多量のウイルスが含まれています。汲み取り式や和式のトイレであれば危険性は低いのですが、洋式の場合、蓋をしないで流すとそこら辺にウイルスが飛び散り💦個室のあちこちに付着します。

なので、不特定多数の人が使うトイレには、私のように不注意な人間は入らないに越したことはないのです。自分が感染者の場合も、見ず知らずの方々に感染の場を提供することになりますし。

 

完璧に手を洗うことができる方は、我慢せずに用を足してください。

Go To 築地

今年3月3日のブログの写真に写っているのは、築地にある鶏肉店である。

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3月3日撮影、築地の鶏肉店。

第二次大戦前の建物で、青緑色に見えるのは銅板を貼ってあるためだという。

この辺りの建物はこういう造りの建物がほとんどだったようで、今でも数件残っている。

 

父の育った家はこのすぐ近所だったという。

一度連れて行ってもらったことがあったが、正確な位置は忘れてしまった。隣だかお向かいだったかが料亭で、窓越しに芸者さんが見えたと言っていた。小学校の同級生は魚屋の倅か芸者の息子だったそうだ。

聖路加病院が近いため、この辺りは空襲を免れた…が、なぜか父の家の辺りだけ爆撃されてしまったと言う。B29のパイロットの気まぐれみたいなものだったらしい。ホント、運が悪い。

 

[ちなみに、聖路加病院を爆撃しなかったのはチャペルの十字架のおかげというより、戦争後、ここを進駐軍が使おうという魂胆があったからだ。実際、この辺りは戦後、外国人の居留地となり、市場のあった場所には外国人向けのクリーニング施設などがあったという。]

 

住む家を失った父の一家は、一時、親戚の家に身を寄せ、後に今、私が住んでいる家のある場所の土地を買ったと言う。当時は牧場や農地で馬や牛の糞がゴロゴロ転がっていて、芸者がそこら辺を歩いていた築地からすると、だいぶ田舎に来てしまった感があったらしい。祖父も通勤が遠くなって大変だっただろう。

 

さて、写真に写っている鶏肉店の話だけれど、ここの鶏肉はとにかく美味い❣️

どこかで特別に育てた鶏だけを仕入れ、ここでさばく。午前中に側を通りかかると、鶏肉を処理しているところが窓越しに見える(おそらく今でも)。

そしてここの鶏肉は、有名レストランや料亭が買いに来るほか、贈答用にもなる。

 

私の幼い頃も、祖父母を訪ねてくる人たちが、ときにお土産として、経木の大箱に入った鶏肉の詰合せを持ってきてくれて、その日の夕食は「鳥スキ」だった。子供の頃は分からなかったが、大人になってから食べてみると、鶏の味と香りがスーパーのものと比べ物にならないくらい濃厚だ。ここだけで売っている鶏肉のタタキなど、考えただけでヨダレが出てしまう🤤

 

もちろん自宅用に少量買うこともできる。前回のお茶同様、築地は多くの飲食店が仕入れに来る。高級店もだが、安いお店からも買いに来るので、売値は決して高くないのだ。

 

さて、少年時代の父は鶏肉が食べられなかったと言う。

昔はこの店のそばでニワトリを飼っていて、少年の父が見ていると、店の人が(おそらくわざと)そこにいるニワトリの首をポンとはね、首なしのニワトリが歩いている姿を見せられたからだそうだ。

今ではそんなことがないので、安心してください。

 

この店のすぐ近所には同じ屋号のウナギ屋がある。ここのウナギも美味しい。

特にメニューに載っていない「ウナ丼」が安くて美味しい。

 

かつて12月になると築地市場は一般の日本人で賑わった。

鰹節や出汁昆布、イクラや刺身など年越しの必需品に、贈答用のお茶や鮭…、大量に買い込む人たちで狭い道が溢れていた。

ここ数年、観光地化して、お土産屋さんや “バエる” 店ばかり増えてしまったが、東京オリンピックが( やってもやらなくても)終わればこの一帯はまた大きな変化にさらされる。

今冬は従来の雰囲気を感じられる最終シーズンになるかもしれない。

 

今年の年末は築地へGo!

もちろん、ウイルス対策は十分に行なってください。

母のおねだり

母は、長きにわたり “おいしいお茶” を探求していた。

 

単においしいだけだったらデパートにでも行って高ーいお茶の葉を買ってくればいいのだが、母が求めていたお茶はそうではなく、「普段使いのおいしいお茶」だった。

 

これがあるようでなくて、出会うまで時間が長くかかった。

 

そしてそのゴールは、私の転勤先の築地にあった。

魚河岸茶(仮名)である。

 

新しい勤務先で出されたお茶に、私は驚いた。

職場でこんな美味しいお茶が飲めるとは!

私は早速買って帰った。母はとても嬉しそうだった。以来、我が家のお茶は魚河岸茶ひとすじである。

 

魚河岸茶は、最初は築地の場外市場に、お寿司屋さんなどのために出来た店だったと言う。

私が出会ったときは、駅のそばに小さなお店ができた頃だったが、店番の人が一人しかいなかったため、お昼は休んでしまうし、夕方もこちらが定時に帰らないとお店が閉まっていた。土日ももちろん休みだった。

 

我が家がファンになる頃から、巷にもファンが増え、道路を挟んだ向かい側に新しいお店ができた。

私が職場を去る頃は銀座にも店ができた。コロナ前は外国人も買いに来ていた。

 

お茶の種類も増えた。

他のメーカーと違うのは、安いもののほうがおいしいということだ。

一度、高いものを買ってみたが、デパ地下のお茶と変わりなかった。

また、同じ名称のお茶でも、買う時期によって味が全然違う。

新茶の季節には青い味がするが、夏とともに味が濃くなり、晩秋のお茶はまったりと味が濃い。

 

冷茶のティーバッグも売り出された。

これを一度買うと、ペットボトルのお茶を買う気にならないくらい美味しい。

が、味を引き出すには徹底的に攪拌しなければならず、ひと様にあげるときには長々しい説明が必要になる。

 

ここのところ私がハマっているのが、和紅茶だ。

渋くなく、苦くなく、ミルクともレモンとも合うが、ストレートでもとても美味しい。

ポットに入れて持ち歩いても味が変わらず、一日美味しく飲める。

 

このお店は、行くと必ず一杯、その日のオススメのお茶を入れてくれる。

実は、私の中では銀座の支那麺(10月21日ブログ)とセットになっていて、我が家のお茶葉が切れるとラーメンを食べに行く。ラーメンを食べた後に立ち寄り、お茶をいただく。

 

「これといってお供えはいらないけれど、お茶だけは供えてね」の言葉を律儀に守り続けて20年。仏様用のお茶のほかに、母の湯呑みに毎日、魚河岸茶をいれて手を合わせる。

 

誕生日や母の日に「何がほしい?」と聞いても、モノをリクエストされることは滅多になかった。

魚河岸茶は、お金で買えるものでなく心を大切にした、母の最後のおねだり。

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魚河岸茶

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魚河岸和紅茶