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「ラスト・ソング」のその後

あなたのおうちのすき焼きは⁉️

むかしむかし、哺乳類🐮🐷の肉と鳥類🐔の肉とは別々のお店で売られていた。

 

父の生家の近所に食鳥屋さんがあったと言う。

そこでは🐓が放し飼いにされていて、少年だった父が見ていると、お店の人が「わざと」生きている鶏の首を刎ねた…という🔪

 

首のない鶏が走り回る姿が忘れられない…という、父の「負の記憶遺産」は、80代まで数回語られた。

 

今考えると、あのロケーションで売り物にする鶏を飼っていたとは考え難く、おそらくどこかの食鳥農家から仕入れてきて、「生簀」的に、殺めるまでの数日間収容していたのではないかと思われる。

 

ついでに言うと、全ての鶏の首を刎ねていたわけではなく、普通は締め殺すのではないかと思う。それは、父を驚かせようとしてやった「デモンストレーション」だったのではないかと思う😳

だったとしたら、70年近く覚えていたのだから、効果は絶大だった。

 

食鳥屋さんは今もあり、そばを通ると、職人さんが黙々と食鳥を捌いているのがガラス越しに見える。さすがに放し飼いはされていない(鳥インフルの心配もあります)。

 

その店の鶏肉は贈答品にもされ、祖母のもとを訪れる人も時々持ってきてくれた。名物鶏のタタキと、レバー、卵黄付き臓物(卵巣?)が、木の箱にぎっしり収まっていた。

 

母が入院している時もいただき、私は、生まれて初めてレバーを捌いた。レバーに包丁を入れた、あの感覚は、父が首なし鶏を見たときのショックに近いかもしれない😨

 

親子揃って負の記憶があるものの、そこの鶏肉はメチャ美味しい。肉に風味があり、脂がのっているのに脂っこくない。

銀座あたりの高級料理店に卸しているようでもある🍗

 

…と言うことで、我が家系では、すき焼きと言うと、”鳥すき” と “牛すき” とがあり、その食鳥屋さんの鶏肉を使った鳥すきが、我が家では三つ星となる。現在も店はあるものの、電車を乗り継がなければ買えないし、祖母なき今となっては我が家に持って来てくれる方もおらず、滅多に口にはいらない💧

 

すき焼きの肉は、牛肉とは限らない。

かつて「ウチは専ら、豚すき」というご家庭もあった。

おそらくカモやイノシシのすき焼きも、あるに違いない🐗

 

醤油と砂糖のバランスや、作り方、野菜などのバリエーションも、地方や家庭によって違うと思われる。

私は、小学校の給食に出てくるすき焼きが、すき焼きであることに気が付かなかった。

白滝やネギの代わりに糸蒟蒻や玉ねぎが入っていたんだもん。

 

30年くらい前、「タイすき」を食べに行こうと誘われた。

魚の鯛のすき焼きかと思って行ったら、タイ🇹🇭の海鮮すき焼きだった🤪

 

おまけに、塩味⁉️

砂糖醤油味で、豆腐や葱が入っているのがすき焼きだ…と思っていたのに😲

 

お宅のすき焼きはどんな味❓

 

怖い家🏠

私は、人生最初に住んでいた家が好きではなかった。

古典的な日本の木造家屋で、扉はガラガラ横開き…💧

友達の家も、幼稚園のトイレも、ノブを回して開く「ドア」だった。今思うと子供にとっては安全だったのだが、スライド・ドアはダサい感じがした。

 

戦後、祖父が建てた家を、父が結婚するときに建て増しし、風呂場や水洗トイレを作りつけた…と聞いたが、その家は、あちこちに漠とした怖さを漂わせていた🙀

 

部屋の天井には木目があって、夜寝るときに見つめているとお化けや人間の目にも見えきた。

天井だけではなく、箪笥の木目や襖・カーテンの模様…古い家は奇妙な柄に溢れていた🦓

 

各部屋にあった押入れはカビ臭くて深くて、暗黒世界につながるトンネルのようにも思えた🐷

 

家の中から死体が出てきた…みたいな夢を見たこともあった😨

 

なので、家を建て替えると聞いたときは、そりゃもうホッとした😮‍💨

もうこの怖〜い家に住まなくてよいのだ💀

 

その家を引き払う準備をしていたとき、その家の不気味さの闇をさらに深めるものを見てしまった。

真ん中の部屋の下にぽっかり、大きな穴があいていたのだ🕳️

どうやってその穴を見つけたのかは、今となっては定かではないが、畳をあげたら穴があった…ような(?)

 

その穴は「防空壕」だと、父は説明した。

祖父母が掘ったものと思いこんでいたが、今考えると、祖父母は空襲で築地の家を焼かれた後、この家を買った(建てた?)ので、引っ越してきた頃には戦争は終わっていた…んじゃないだろうか?

…とすると、あの穴は誰が、何のために掘ったのだろう😱

 

穴は埋められ、新しい家が建った。

新しい家には恐怖のカケラもなく、私が悪夢を見ることもなくなった🏠

 

しかし、安全なはずの家は30年も経たないうちに再び「怖い家」となった。

誰も(生きて)いないはずの祖父母の部屋から物音がするようになり、体調不良だった母の睡眠を妨げた。

物音は母の寝室にとどまらず、ある夜、私の部屋に正体を表した😱

 

…それはでっかい、クマネズミだった🐹

 

我が家だけでなく、近隣の家々にも被害が及んでいたことを後になって知った。

近所の電線の上を、猫ほどの大きさの動物が移動するシルエットを見たこともあった。

そのときはタヌキかハクビシンじゃないかと思ったが、クマネズミだったのだ🐀

 

我が家も台所が荒らされ、祖父母の部屋も、食べ物などないのに荒らされた。ヤツは石鹸も、食う🧼

 

ネズミとの知恵くらべが始まった。一匹捕まえても、同じ手は二度と使えない。ヤツは用心深い上に頭がいいのだ。

行動を観察し、想像力をフル稼働して手を替え品を替え、5〜6匹退治したところでようやく収まった。

「退治」と書くとたった二文字だけど、泣きたくなるほど大変だった💦

 

安住の地…というものは、今の日本でも、簡単に手に入りそうで入らないものなのかもしれない💧

葛飾北斎はなぜ長生きできたのか。

富嶽三十六景」で有名な浮世絵師、葛飾北斎は中年期に中風で倒れたが、その後回復して90歳まで健康長寿を全うしたという🌊

 

中風とは、今で言う脳梗塞脳卒中などの脳血管疾患。

救急車も医療もリハビリもなかった江戸時代、再発することなく死ぬまで仕事ができたというのは、(一部の人の間では超)有名な話だ。

 

疾患自体が軽かったこともあり得るが、これらの疾患は再発の可能性が高い。現代だったら、血液サラサラにする薬を一生服用しなければならない。

 

そのような薬を飲まなくても90歳まで元気だったのは、北斎の食生活に秘密があった…と言われている。

その一つが、柚子だ🍊

北斎はレシピをいろいろ変えて生涯にわたり大量に食していた…らしい。

 

柚子に限らず柑橘類の皮には、ヘスペリジンやナリンギン(またはナリンジン)と呼ばれるポリフェノールが含まれており、これらは血液/血管系にすぐれた効果がある🍋

 

しかし北斎は、柚子だけ爆食いしてやりたい放題…だったわけでは決してなかったと私は思う。

当時、江戸で柚子を長期にわたり入手するのは相当困難だったのではないだろうか。大量に入手し、保存に耐えるよう工夫して加工した努力こそ、北斎の健康長寿の秘訣だったのではないだろうか。

 

さらに北斎は蕎麦や玄米もすすんで食したらしい。1日でも長く仕事をするために、北斎は情報を貪欲に収集し、ストイックとも言える生活を営んでいたのではないだろうか。

 

さて、ポリフェノールと言っても多様な物質があるが、その殆どは植物が自らを酸化ストレスから守るために産生している🌿

植物の場合、酸化ストレスと言えば太陽からの紫外線が殆どであるため、これら防御物質は主に皮の内側(俗に言う、皮と実の間)や葉っぱにある🍇

 

いっぽう人間を含む動物では、血管壁が酸化ストレスに常時さらされ、血管壁はダメージを受け、老化、動脈硬化、さらには癌etc…様々に悪影響を被る。なので、植物の作ったポリフェノールなどの抗酸化物質をいただいてこれら病気を防ごうとするのが、近年の健康法の考え方の一つだ🍫

 

ブルーベリーのアントシアニン、蕎麦のルチン、茶カテキン大豆イソフラボン、トマトのリコピン🍅…

 

元となる食品を丸ごと取った方が食物繊維やビタミンなど他の栄養素も摂れるが、毎日これらを一定量摂るのはなかなか大変だ💦

 

明らかに病気である場合は医者に薬を処方してもらわなければならないが、なんとなく不調の場合は、有効と思われる成分を抽出・分離・精製・濃縮したサプリメントは手軽で便利💊

 

さてさて、脂質異常や高血糖は身体の不調となって現れることはない。

検査値が高ければ医薬品を処方されるが、それ未満だと「がんばって下げましょう」と言われて返されるだけ。がんばるって何を?…って感じよね😥

 

が、前にも書いた通り、検査値は結果であって「ゴール」ではない🩸

私は、検査値がそれほど異常ではないのであれば、基準値に近づけよう「がんばれ」ば良いのではないか…と私は思う🚶‍♀️

 

葛飾北斎のように。

 

あくまで個人の見解です😜

皆さまの健康長寿をお祈りして🙏

 

📖ポリフェノールは総称で、カテキン、タンニン、アントシアニン、フラボノイド、イソフラボンなど、健康番組で聞く名称の「構造式に基づくグループ」が含まれます。例えば、よく聞く赤ワインの「レスベラトロール」は、スチルベンと呼ばれるフラボノイドの一種です🍷